デリケートジャスミンに抱かれたい

大好きだよ、当たり前じゃん

好きという気持ちを噛み締めて、心が震えた話

ブログはとても久しぶりなまつりです。

はてブロなくなるとかなくならないとかなんかなかったっけ?

 


今日は備忘録というかメモというか。自分の心が震えた話です。

 

 

 

わたしは今(こんな曲の歌詞あったよね)、片思いしている男がいる。

そいつは結婚願望もないし、浮気性のヤリチンイケメンである。

彼女募集中の身ではあるが、わたしのような、肉を余らせた女は好みでないらしい。遊ぶ女には困ってないようなので、きっと選んでいるのだと思う。

 


彼奴はイベント運営の団体を立ち上げていて、わたしはそこで彼を知った。友人というよりかは、ホストと客の関係に近い。際限なく貢げるわけでないが、イベント参加費は彼の収益になるためだ。

営業をそこそこ掛けてくれるので、わたしはできる範囲でほいほい参加してしまう。元々楽しく魅力的なイベントも多いので、まあそこはよいのだけれど。

 


顔は好みのわんこ系ヤリチン顔なので、そこで好きなのかなあとも思っているのだが、如何せん彼奴の恋愛観(浮気性、責任取りたくない)はわたしの地雷である。地雷であるのに、寝ても覚めても好きで、一時期仕事も手につかないほどたそがれていたので、自分自身を「スイーツ(笑)」と嘲笑していて、さらにつらかった。

告白はした。付き合ってほしいとは言えなかった。一緒にどこか出掛けたいなとは思うが、わたしは生涯、笑いあって共に歩く人がほしいのと、年齢も年齢で子供もほしいので、縛られたくない彼奴に、いまの感情に流されて、付き合ってほしいとは言えなかった。

あなたのことが好きで、幸せであってほしい。という気持ちだけ伝えた。慣れているのだろうな、と思えるナチュラルなお礼の言葉をもらったし、気にならない奴だろうな、というわたしの読み通り、彼奴は気にしない男だった。なので、彼奴とわたしは、あいも変わらずホストと客のような関係である。ありがたい話である。

 


さて、そんな彼奴の運営イベントのひとつに、ウィンタースポーツをしに行く機会があった。

わたしは悲しいかな、身体を動かすのも苦手な肉々しいおんなである。身体を動かすのは好きだが、得意なスポーツは、身体が柔らかいことを活かしたストレッチくらいである。

運動が苦手なのは、コンプレックスでもあるので、件の営業をかけられたときに、「興味はあるけど、スポーツとか身体動かすやつって、めちゃくちゃ下手くそなんだよね」と話をした。

いいよいいよ、と適当に言うので、じゃあ……。と肉々しいスイーツ(笑)はのこのこと出向いた。

ゲレンデマジックとかで可愛く見えないかなエヘヘ、とか浮かれていた気持ちはすぐに消え失せた。やってみたい興味はあったが、何にもできないのである。

まず立てない。立とうとすると板が滑って、斜面に向かって縦になり、そのまま加速してしまう。

見ていたフィクション作品のようには上手く行かない。

スキー場は、運動できない肉々おんなが、のこのこと来てはいけないところだった。なけなしのお金で買ったリフト券や、借りた道具やウエアが、大層勿体なく思えてきた。ちびっこたちのソリくらいしか混ざれないし、他の人たちはウェ〜イ! とウィンタースポーツをエンジョイしている。

逆恨みとか、情けなさとか、自己嫌悪とかでこころが一杯になってしまって、わたしはゲレンデの隅で、涙目になっていた。

そこで彼奴が出てきた。

 


「まっすーw」

「やったことないやつが、しゃしゃってすんませんでした……」

「いいよいいよw 言ってたし教えたげるわw」

 


そんなこんなでスキー教室の始まりである。

立ち上がれずに笑われつつも、引っ張ってもらったり、リフトの降り方を教えてもらいつつも上手く降りられずリフトを停めては笑われた。

だが、終盤の方では、なんとか斜面を少しだけくだり、困ったら取り敢えず転ぶということができるようになったのだった。

彼奴は自前の板を持っている。もっと自分で滑りたかったろうに、落ちこぼれのわたしに滑り方をレクチャーしてくれた。

涙目だった気分も吹き飛び、滑れることに楽しさを覚えた上機嫌のわたしは、ふと帰りの車で子供の頃のことを思い出した。

 

 

 

わたしは子供の頃から、陽キャに憧れた陰キャであった。男子たちが楽しそうに遊んでいて、それに混ざっている女の子が、とても羨ましかった。

しかし、悲しきかな。陰キャで、運動下手で、わがままな子供の時分のわたしは、鬼ごっこなどで鬼になると、かんしゃくを起こすどうしようもないガキンチョだった。

男子どころか女子たちからも遠巻きにされ、わたしのかんしゃくはさらにエスカレートした。そりゃ友達できないわ、というちび肉だるまのわたしは、本だけが友達よ、なんて気取ったガキンチョになった。

 


それでも、わたしはずっと鬼ごっこや、身体を動かす遊びに入りたかったのだ。脚も遅く、遊びが成り立たないことが、すごく悲しかった。それに気付くには遅かったが。

小学校の体育はだいきらいな科目だった。他の勉強はそこそこできたので、余計に劣等感に苛まれてきらいだった。

幸いなことに、中学の恩師である体育教師が「体育は出来なくて当たり前で、だから楽しんでやろう」をモットーに授業をしてくれたので、身体を動かす楽しさを知ることが出来た。ただ、やっぱりこの世は実力主義。特に、一人でやるわけではないスポーツというものは、出来なければ他人の楽しさや興奮にも水を指してしまうので、やっぱり苦手だった。

 


そんな「身体を動かす」ことに、誘いをかけてくれる人がいた。それがわたしが片思いしている彼奴である。

 

 

 

「ああ、わたしはずっと『みんな』の仲間に入りたかったんだ」

 


「彼は、わたしを『みんな』の仲間に入れてくれる、ずっと求めてた人だったんだな」

 


「だから、わたしはあの人が好きなんだ」

 


このことに気付いたときに、ぽろぽろと涙が出てきた。

彼奴を好きであることを再確認して、好きであるという感情が、こころにいっぱいになって、涙になって溢れてきた。

この感覚を、心が震える。というのだろう。

帰りの道中、運転しながら、わたしは彼奴への感情を噛み締めた。

 

 

 

そういう備忘録である。

どうでもいいとしか、他人からは思われないだろう。

それでも、これだけ素敵な感覚と、好きという感情を味わえるのであれば、わたしはいっぱい恋をして、人を愛したいと思った。

 


人を好きになるっていうのは、とても楽しい。人の魂を削って、描かれたような芸術や、人ならざるものが形作った自然の姿と同じくらい感動する。

だから、みんなもいっぱい人を好きになってほしい。きっとわたしが叫ばなくたって、多くの人は分かっているんだろうけれど。